最近学んだ処世術
考えて物事がうまくいくもの、深く考えるべきものは考えるべきで、考えても答えのないもの、答えを出そうとするとネガティヴになるような問い、考えても何も変わらないもの、例えば心配してもどうしようもないこと。こういうものは、考えないほうがうまくいくかもしれない。
すべてのことを考えることがいいこと ではなくて、これもこれで処世術なのかな?
好きな作家さんの本にも
心配してもどうにもならないことは考えないことが1番。心配なことを想像するだけ、その場面を具体的に想像しちゃうから現実にそうなりやすくなってしまう。
って書いてあった。(だから、夢が叶ったときのイメージを具体的に想像するといいらしい
こうなったらどうしよう、うまくいかなかったら、、みたいな想像を今一つもしてないんだけど、
そうするとほんとうにただただ幸せになれる!笑
幸せじゃないと思う人は、たぶん想像のせいでそう思う人も多いんじゃないかなぁ。
まあわたしも心配事が一つもないわけではない。笑
この言葉が好きです
『人生とは、人生以外のことを夢中で考えているときにあるんだよ。』ジョンレノン
ほんとにこれだなと思った!
何かに熱心になっている時、なにも無駄なことを考えない、人生のことを考える時も人生であるような感じもするけど、人生のことを考えることに人生があるのではなく、毎秒毎秒がむしゃらに走って、いざ、死が近くなった時に
一生懸命生きたな、毎回何かに熱中して。
と、思えるようにいきたい
と帰りの電車で、とても実感している。。
仕事ってそういう役割もあるかもしれない
(意味深だね
『あなたが今夢中になっているものを大切にしなさい。それはあなたが真に求めているものだから。』
エマーソン
何かに夢中になっていれば人生はあまりにもあっという間で、あまりにも短いのだろう
タリーズで書いてる。
今読んでる本難しすぎてぼーっとしながら読むと何一つ頭に入ってこなくてここらで諦めそうだ、、、訳し方が悪いんじゃないかこれ
あと2週間で日本終わりだーとここで思ってかなしくなってる、やり残したこといっぱいある(ようなきがする😳日本嫌だとかきらいとか言ってたけど、離れると寂しく感じるものなんだよなぁ。
まさに 隣の芝は青い だななんでも とよく思う
何をしてももう一方が羨ましくなったり。
本気で死にたいという気持ちになることも、生きているという方を選んでるんだから他方が羨ましくなるのも当然だよなと思った。
だから、自分の選んだもの、自分のいる場所、を 否定したり他方を羨んでばかりじゃなくて、
どうせ他方を選んでもまたこっちがよくなるんだから
今いる場所に一生懸命になるようにしたらいいのかなあ
そしたら、死にたいという気持ちもおきにくくなるのかな…?!(笑)
(別にまったく死にたくない
人間はなぜ、、どうして、、ということをよく考えるけど、死にたくはない。笑 考えたらわかると思って今まできたけれど、何か安心できるような答えはまだ出ていない。
無心でいる、でもそれはまた一種の絶望で、それはもったいないことだ、と本にかいてあった。
処世術で生きるのはもったいないらしい。。!
どうして 隣の芝は青い んだろう、
物事に常に満足することができないのが人間なのかな。どうして現状になかなか満足できないのだろう、、?
考えても考えても案は出てこなくて、たぶん人生における全体的な知識不足が原因な気がしてくる。笑
考えてもわからなくて思考が停止する\(^o^)/
なにか こうじゃないかな っていうのがある人はぜひぜひ教えてください(^o^)
多重人格
1年生のときに、図書館で見つけた多重人格の本が面白そうで借りて読んだのだけど、
この間たまたまテレビで放送された多重人格についての特集がyoutubeにあって、みた
一瞬意識を失って、違う人格に交代する。
年齢とか性格、名前、話し方、物の好み、音痴か否か、そういうものがぜんっぜんちがって。
カフェで、女子高生の人格の人がバナナシェイクを頼むんだけど、人格が入れ替わると「え、これ好きじゃない飲めない」っていうの。
文字も、考え方も、全然違う。
医学的に考えることもできるだろうけど、
魂のせいじゃないかな、とか思った、、(笑)、
たぶん、自分の文字とか好みとか歌が上手いだとか、そういうのは「体」じゃなくて、その人の魂によるものが大きいのかな?と。
全部、体のせいでそうなっていると思いがちだけど、
そうすると人格が交代して食の好みが違うとか歌のうまさ、声が違うとか、文字が全然違うとか、そういうことが説明できないんじゃないかな
それぞれの個性っていうのは、もしかしたら魂そのもの、なのかもな、?
体は乗り物、って言われる訳がわかった気がした、
魂の問題では、ないかもしれないけれど。
自己
自分らしさとは何か!
最近、自分らしさって何だろう、今までどんな人間だったっけ?と考えて、それを見失わないように、今までの自分通りに、みんながもっているイメージ通りに、生きなきゃだめだ、みたいに考えていたんだけれど、
読んでる本で「自己、魂は決して0になることはない」みたいに書いてあって、つまり何がどうなってどれだけほっといたとしても自己、魂は失われない ということらしくて(たぶん)。
ほっといて、こうしなきゃとかそういうのを何も考えずに、何かに興味を持っていなきゃとか思わずに、ありのままでいるようにすると、
どんなにほっといても「あれがしたい、あれが食べたい、どこに行きたい、何に興味がある、友達のラインにはこうやって返したい」みたいな、自分らしさが生まれてくるような気がする。
例えば性格とか思考とか趣味とか、年を重ねるごとに変化したっておかしくないものだし、「こうあらなきゃ」っていう焦りとかっていらないのかもなー
っと今日おもった☺
自分らしさとか、そういうものは 自分をそれにそわせるものじゃなくて、勝手にわいてくるもので、変化もするものなのだと思う。
最近は、今までのものとか思い出とかしがらみとかぜーんぶ捨てたくなってきて!てんびん座は9月から新しい12年間の物語が始まるらしくて、こういうことが起きるかもしれません~って 書かれてたことがほんとうにそうなっていて、ちょっとびっくり。
かえりみち 酔ってないよ
課題とか予習とか、大学に追われないことってこんなに幸せなんだと実感している、、
授業とかは好きだけれど、
何かに追われる
ということ、つまり自由じゃないことって
気づかないうちに結構プレッシャーなんだなあ〜
こうしなきゃいけない、
こう生きなきゃいけない、
こうするのが普通、
こういうのを全部取り払うと
人間結構自由なんじゃないかなぁ。
帰り道、
あー、自分に不幸なことなんて見つからないし幸せなことがたくさん思い浮かぶし、
もしかしたらめちゃくちゃ幸せ者なのかも〜
と思いながら歩いてる、、\(^o^)/
関わってくれてる人全員に感謝!!!
ほんとーについもありがとうう
喧嘩しつつも迷惑かけても結局はすごい応援してくれて、そんな家族にも、、と考えると泣けてきた😂😂
やっぱりそろそろ寂しくなってくるなああ
どうやったら感謝が十分に伝わるんだろう、
つまり人を愛するっていうのは難しいねえ
蝉の声をききながら、ああ、夏はすぐ終わるんだろうな〜と思った今日でした。