徒然

思うこと 考えたこと

この世界のこと

今は勉強したいという意思がなくなってしまった、だから留学をやめた、という友達がいる。



たしかにね、留学の意味はなんだろうとも思う、
けれどそれこそ、
やってみないとわからないのじゃないかな
と思う




人生は空騒ぎ、意味など何一つない。




きっと全部が全部本当の意味があるかどうかなんてわからないけれど、


意味がないからこそ
直感で、好きなように、やりたいように生きていいのではないかな〜


空騒ぎだと思えばなんでも許せる!




昔六本木のカフェに居たら隣にいた子連れの母2人のうちのひとりが

「わたし、いろいろこの世の仕組みを、なぜだかわかってるんだよね、昔から。

この世は「楽屋」みたいなところなんだよね、休んでる場所。

(あと、もう1人の方の おばあちゃんの霊が方の上にいるよ とかも言ってた。(笑)けっこうほんとにそういうのが分かる人っぽかった)」




意味なんて求めていたら楽屋でも空騒ぎでもなくなるね😊





のでやりたいようにやろー!!!

まずやってみる

1人の票でなにも変わらないのが民主主義です、と先生は言っていた
けれど、大声で意思を表明しなくても 心の中で思ってることを表明する、というのも大事なのかもね、

そういう場がないと明らかにならないもんね。

みんなひとりひとりが意味がないと思いつつ投票するとしても、その人たちの結果が結果として現れるわけで、意味がないと思ってもやる、というのが民主主義や選挙では大事なのかも。





意味がないと思ってもとりあえずやってみる、行動してみる、
それって結構、他にも色々当てはまるのかな




心の読めるDaigoの本にかいてあったこと
変わりたいなら、そう思うのではなく、実際に行動する


例えば○○な人になりたい と思ったら、その人らしい行動をする、服装をする、など。

具体的になくても、いまの自分を変えたいと思ったら、習慣からかえる、
例えば、いつも頼まないようなメニューを頼む、いつも着ない服を着る、いつもと違う道で通勤する、いつも聞かない類の曲を聴く、など。

これ、ちょっとやってみたときあったけど続けないと多分意味ない。(笑)
いろんな生き方があるんだなーと実感できた気がする、たしか。





行動から、変える!
選挙もいくことに意味があるのかもしれないし、
考えるだけじゃなくて、実際にやってみる





バイト中、
普通じゃない人生送ってみたいな〜どうせなら、って考えてた
できるだけ波乱万丈に生きたい(いい意味で
やってみたいことは、まずやってみる!


一度しかない人生楽しまなきゃ!!!

一度しかないと思っても、前の記憶忘れてるだけかもしれないけれどねえ(←わたしはそう思ってる






だってこの世界に初めて来た気がしない🌎








さて、課題やろ。。

メモ。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 」鴨長明


「人生は単なる空騒ぎ、意味など何一つない。」シェイクスピア





今日ゲットした言葉たち!




意味があるのか、はたまた無いのか


暇だからか最近は

なぜ人は生きるのか
どう生きるのが幸せなのか

をよく考えてる。

長くても100年ぐらいしか生きられないし
いつ死ぬかもわからない、
そんな儚い身体を持って生まれ、

人は生きてる間に何ができるだろう、
目的はなんだろう、



そういうことを誰も生まれてくるときにおしえてくれないし、そういうことをまったく考えない人もいるじゃない?
それにこれは考えたって答えが出なくて
だからこそ考えちゃう、、、




意味を探すこと、意味がないと思うこと、
それは
この世界ではない世界が他にあるって信じてるのかもしれない。

けれど、他の世界ではちゃんと"意味"があるのだろうか。
そこでもなかったらどうする、
広がり続ける宇宙の中、もしかしたら意味なんてどこにもないのかもしれない

だって多分、他の世界があると言っても宇宙の外には出られない、、となんとなく思ってる笑

宇宙の外にも意味がないかもしれない





すべてに意味がないのだとしたら、
その中にもきっとなにか意味は存在しているかもしれない

意味 ある ない

意味という言葉も、ある・ないの概念も
人間が作ったもので、その言葉を通して世界を見ているけれど、
この世界、この宇宙、
人間の言葉ですべてをカテゴライズして正しく言い表すことなんて
絶対できないんだろうな。





人間の生み出す概念が正しいわけではないと考えると
未来に目を向けるとか、時間を線でとらえるとか、多分違うんだろうなとおもう


魂?宇宙?の世界は時間の長さとか時間軸とかはないんだって、
これも人間が機械的に時を時間に区切ってる。







とりあえず、今をちゃんと生きる!
他でもなく人生はその積み重ね なのかな




※書いたあとから付け足し

人生こそ、最大の「置かれた場所で咲きなさい」なのかもしれない。
そう思いついてちょっと納得、
「置かれた場所」(家が、境遇が、とかではなくて、地球に生きているということ)
チャンスだと思えばチャンスかもしれない、、


※🌟
あらゆることに意味がないのなら、意味があるかないか考えることも意味がないのかな、と思ったり


こんな意見をいただきました。わたくし納得

😂







どう思う?
暗いかな? 共感してくれる?

はたらくこと



今まで、社会人やだーって思ってたんだけど、
それは「やりたくない仕事したくない」ということで。(やらなきゃいけないこともあるよね😳


最近はいろんな話聞いて自分は何に興味があるのかわかってきて、あ、こういう仕事ならむしろ進んでやりたい!って思えるのがあるってことを知って、

ちょっと社会人やだ思想がやわらいできた💭💭



やりたくないことはやらなくてもたぶん社会はまわる。仕事したくない、は別だけど。笑

自分のやりたいことに向かって頑張ると、自然と頑張れるな〜と思った😌💕
ウキウキワクワクする感覚大切!





時間があるのは学生のうちだけですよ〜て言われるけど今ぜんっぜん時間ないよおおお


なんでなくなるかってダラダラする時間が好きだからだーーー!
有効に使わねば😂😂

無と趣味の間


いまわたしはマニュキアを塗っています、
お風呂上りにクーラーのきいた自分の部屋で
ウォークマンの「夜のおすすめ」をかけながら。



部屋を見渡して 最近のことを思い出して 思う





少し出かけて写真をとったり
本を読んだり
塗り絵をすること
音楽を聴くこと
映画を観ること
興味のあることについて勉強すること






どれも好きなことで、
趣味は?と聞かれたらこの中の幾らかを答える



答えるけれど、その趣味のために生きているわけではない、


映画は好きだけど、映画ばかりは見れない。
本は好きだけど、暇な時間には読まない。







暇な時間は、趣味として何か自分で働きかけなきゃいけないもの(趣味は働きかけるものではないと言われるかもしれない
からの義務感や圧から逃れているかもしれない。


全く何もしないわけでもない、でも「趣味」と呼べるほどの何かをわざわざするわけでもない。







その間の



クーラーにあたる時間
テレビを見て笑う
マニュキアをぬる
カメラを見返す
お気に入りの言葉を忘れないように書く
将来をぼんやり考える
気になった単語の使い方を調べる
ジュースとジュースを混ぜてさらに美味しいものを作り出し1人で喚起する
好きな人たちとのチャットを見返す
夜風にあたる
洋楽を流す




こういう時間。
これが好き

わたしの趣味は、趣味とよべるほどに時間をかけているものではない。






やらなきゃいけないことから逃れているからこうなるのかもなああ
テストが〜課題が〜あれやらなきゃこれやらなきゃ〜って

そういうのを紛らわせるためにこの 無 と 趣味 の間の行為を繰り返す、これはまあクズといえばクズなのかもしれないけれど、笑、

映画をひたすら見るよりも

自分の部屋で、クーラーつけて、音楽をかけて、とりとめのないことをし、考える






そんな時間が大好き、どんな時間?と聞かれると、説明のできない時間。笑

趣味はなんですかと聞かれてまさかこうとは答えられないので、いままで通り
「音楽鑑賞、映画鑑賞、読書」と答えるつもりでいる😌🌸



課題のために読まなきゃいけない本に追われるとか、そういうことで本当にやりたいことになかなか時間をさけてないのかな〜、なんて思った、これは学生ならではなのかなって、

課題の本があるのに好きな本読む時間と余裕ないなって、

だから、社会人になったらどうなるんだろう、

趣味と呼べるようなものをちゃんと趣味にしているのかな、読みたい本を何にも追われずに読みたい、そんな日が来るのかな〜って

この間の帰り道でも、今も、考えてる。(笑)




もしかしたら趣味をきちんと趣味にしてるかもしれないし、今と同じかもしれない









心に移りゆく由無し事をそこはかとなく
書いてみました





ここまで読んだあなた、1,200字活字読んだよ😉💫💫ありがとう!
merci beaucoup!

時間




すぎた時間ってはやくかんじる。

生まれてからどういう過程で今に至ったのかなんて ほぼ覚えていない。

今までの思い出も、特に印象深かったシーンを断片的に記憶している感じ。






けれど先にある時間は長く思えるんだよね、
1日1日も、長く思う日もある。

わからない不安、がそうさせているのかな、





建長寺の階段をひたすらに登った

ゴールが見えない不安。




行きは長く感じても、帰りはそれよりも少し短く感じる。


長く感じるというのはきっと不安から来ているだけで、ほんとうは実際には長くはないのかな、体感だけで。。
時の流れの早さに驚くみたいに。





長いように思えるけれど実際は短いのかもしれない、それに時の流れる早さは変わらない(時、時間は人間が決めたものだからだけれど、実際のほんとうの"時"はどんなものかはわからない、宇宙の中では時は過去、未来があるもの、長さがあるものじゃなくて、線的な概念ではなくて 例えばタイムスリップみたいに時間の中でいつでも行き来できるものだよ、っていうのも聞いたことがある)






すぎてしまえばあっという間なんだ、

だから今を大切にしなきゃ。

今日だって半分が終わってしまった。笑